第105回 最近の若者
- レポート
- 2014.03.31
いつの時代も、おじさんは若者に苦言を呈するようになっているようです。
私も「新人類」と呼ばれた世代の最後の方に属し、上の世代からは自己中心的だとか理解不能だとか言われていました。
ただ、若者が自己中心的で理解不能なのは当たり前のような気もしますし、確かに自分自身そうだったと思います。
(自己中心的だった部分については、各方面に迷惑をかけたこと、結構反省しています。)
では、今自分がおじさんになってどう思うか?
たしかに理解不能なこともありますね。
今年も、つい先日まで来年の新卒の面接を20人以上やってきましたが、こんなことがありました。
(来年の新卒は平成4年か5年生まれです!)
ある男子学生に、将来の夢は?
と聞いたら父の会社を継ぎたいとのこと。
その会社は賃貸経営をしているそうです。
4階が自宅、1,2階に貸店舗、3階に貸室が3部屋。
自分の簿記の知識を活用して経営をしていきたい。
「え?
いわゆる大家さん業ですよね。」
「はい。」
「現在お父様はどうされているんですか?
そんなに毎日やることはないのでは。」
「そうですね。時折、賃借人と話すことがあります。
ただ、父には簿記の知識がないので、私が継いでその辺をしっかりとしたいと思っています。」
と彼。
はっきりと答えてくれるのですが、お客様が本業の傍らでこの規模の物件を買うところをたまに見るので、ピンときませんでした。
理解できない人を採用することはできないので結局それまでだったのですが、もしかしたら私の感覚が違っているのかもしれません。
お客様からも、今の若者は
・まったく自分で仕事を覚えようとしない。
・従属的というか自分で考えない。
・自分で何とかしようという意図に乏しい。
とか批判的なことをあれこれ伺います。
これまでよくあった世代間のズレなのか、本質的にある問題なのかはわかりません。
ただ、こうした批判がある一方で、私は彼ら/彼女らが、優しくなった世の中の良い面を映し出している世代でもあるような気がしています。
私は44になりますが、記憶をたどっていくと、世の中は、なんだかんだいって乱暴なところが多くありました。
その部分が改善されているような気がしています。
最近感じたり、聞いたりするテーマだったので取り上げてみました。
*************************** まとめ ********************************
最近の若者は、、、
どうでしょう。
***************************あとがき**********************************
私の記憶の中にある乱暴だった世の中とは。
たとえば体罰。
私は体罰の存在意義も時にはあると思っています。
ただ、私が中学の時はひどく、体育教師が中心となって、生徒を殴る蹴るを当たり前にやっていました。
私の中学は父の転勤で関西でしたから、まるでその筋のドラマを見ているようでした。
「なんやわれ!何考えとんねん。
自分が何しとるかわかっとんのかぁボケぇ!」
ドス、ボコボコ。
(ビンタ(平手打ち)されて倒れたところにキックの音。
ビンタもTV向けではないためパチンという音ではありません)
上記は不良生徒ではなく、教師の言動です。
女子生徒も例外なくビンタまでは普通にされていましたから、ひどいものです。
その場にいる全員が1列に並ばされて順番に頬をビンタされるという経験も何度もあります。
言っておきますが、私は決して不良ではなく、むしろ良い子の方でした。
なにしろ、体育祭の練習に帽子を忘れただけでこうした対象となるのですから、無傷で3年間過ごした生徒はいなかったと思います。
そんな生活を経て、関西ではまぁまぁの私立高校に入ったとき、正直驚きました。
私語でうるさくなったとき、先生が授業を止めたのですが
「諸君。少し静かにしないといけませんよ。」と注意したからです。
なぜびっくりしたか。
「お前ら」(あるいは「われ」)でなく、「諸君」と呼ばれた!
授業中に騒いで殴られなかった!
こんなことでびっくりしたわけです。
でも書いてみると結構問題ですね。
帝国陸軍の話ではないのですから。
(ただし、陸軍と違ってグーパンチはさすがにありませんでした。)